『アルプスとリビング』

早稲田大学演劇倶楽部第32期新人企画

ヒマラヤとダイニング/八杉

遅くなりましたが、終演のご挨拶をさせていただきます。八杉です。

 

始まったものは終わるというのは本当で、驚くべきことに、終わりました。

終演から三日もたってしまうと、やっぱりどうしてもだんだん記憶が薄れていくもので、私たちのやった公演は、果たして本当に「アルプスとリビング」だったのか、もしかして「ヒマラヤとダイニング」ではなかっただろうか。ブータンの少年がネパールの少女と恋に落ち、二人でヒマラヤの山頂でダイナーを営む物語ではなかっただろうか。定かではありません。曖昧な記憶です。

嘘です。

さすがにまだちゃんと覚えています。「アルプスとリビング」です。「アルプスとリビング」です。

 

はい。

 

それはさておき、本当に、どんなに濃い体験をしたって、あるいはどんなに記憶力がいい賢い人だって、時間とともにどんどん体験の鮮やかさは失われていくものです。

 

こういうところにこういうこと書くのは浅はかで、不快な思いをなさる方もいらっしゃるかもしれないのですが、だからこの文章、せめてなるべく丁寧に書こうと思います。アルプスとリビングの台本を書いている最中に、俳優の大杉漣さんが亡くなられました。私は特別彼のファンというわけではなかったし、特別彼のことをよく知っているわけでもなかったのですが、ふとテレビを見るとそこにいる人で、私の中でさして特別というわけでもない人ゆえ、安心感があり、当たり前の人でした。

彼が亡くなったということは、彼がもう今までのように何気なくテレビの中に現れるようなことがなくなるということで、いや、再放送か何かでテレビの中に現れることはきっとこれからもあるけれど、それは決して「何気なく」ではなく「意味を持って」になってしまうということで。かといって、わからないのです。別に彼は最初から最後までテレビの向こう側にいた人で、テレビに映っていない時は、私にとって存在していないのと同じ。だから今、私の前に現れる「彼がテレビに映らない」という現象は、彼がこの世に存在していた時と、どこにも存在しない時とで、全く変わらない現象なのです。だから彼がいないこと、よくわからないのです。

彼が亡くなったニュースが私にとって実感がなく、それほど重大な影響をもたらさないことが逆にショックで、台本なんて全然書く気にならない瞬間がありました。でも、夕飯の時間になったら私は晩御飯(確かグラタンだった気がする)を食べて、しばらくするとパシュートが金メダルを取ったので喜びました。その日の夜、人にその話をちらっとして、他愛もない世間話をして、元気を取り戻しました。次の日、私は楽しく稽古をしました。そして、このブログを書いている今の今まで、そんなニュースのことは綺麗さっぱり忘れていました。

あのニュースを見たときすでに分かっていました。私にとってこのニュースがどれだけ重大だったとして、少ししたら綺麗に忘れることができて、二度と同じ痛みとして味わうことはないということ。案の定忘れていました。そして今思い出しました。思い出すことができて良かったけれど、あの時感じたままの痛みではないゆえ、せめて、あの夜の晩御飯が、グラタンであったか否かくらいはきちんと覚えておきたかったと後悔します。そう、だから、私にできる大事なことは、出来事に対する感情そのものを覚えておくことより、グラタンを食べたか否かを覚えておくことです。状態の良い化石みたいに。

 

 

うんうん、辛気くさくなってしまったんですが、何が言いたかったかと言いますと、アルプスとリビングでした濃い経験のこと、私は時間と共に少しずつ薄めていってしまうので、その前に一つずつ丁寧に思い出しておかなくてはいけないということです。安心して忘れるために、いつでも思い出せるようになるための準備が必要です。だから今書いてます。

別にその作業は、一人ですればいいのですが、こうして人目につくところでやっているのは、一緒になってアルプスとリビングを作ってくれた人たちや、さりげなく私を支えてくれた人たちに、こっそり、あなたのおかげです、と言いたいからかもしれません。直接伝えるのは照れ臭いので、どうかお察しください。

 

 

演劇っていうのは、こういうところが難しいです。舞台からはみ出したところ、誰がどういう風に助けてくれた、とか、私はどういう風に考えている、とか、ここがうまくいった、うまくいかなかった、みたいな事。「いや、どーでもいいわ!!つべこべ言わず公演で頑張れや!!」って感じですかね。と言いながら、書いちゃってるんですけどね。未熟ゆえだと思うのですが、演劇を目的にしきれないというか、手段にしてしまうような節があります。いいのか悪いのか、まだわかりません。

 

 

それはさておき(さておいて良いものか)、アルプスとリビングをやって思うのは、これが自分のものという感覚が想像より薄い、ということの嬉しさです。

ちょっと勝手に種明しなのですが、劇中の山で起こるシーンのほとんどはエチュードで作りました。私以外のみんなから飛び出す言葉があまりにも可笑しく、滲み出す個性があまりにも愛らしかったので、欲張って詰め込んでしまいました。心を鬼にして、部屋のシーンとのつながりや、コンパクトなわかりやすさを大切にするのが、私の仕事だった、と思う部分もあり、それは大反省なのですが、いや、とにかく愛が止まりませんでした。毎日毎日、ああでもないこうでもないと言いながら、笑ったり笑えなくなったり、本当に負担をかけてしまう作業だったんですが、私は本当に楽しかったです。ごめんなさい、楽しかったです。

部屋でお留守番をしてもらっていた鴎には、これまた、本当に大変な思いをさせてしまいました。これまた当たり前の話なのですが、役というのは紛れもなく自分以外であって、それになるというのは身を切るような思いをすることが必要なんですね。私と鴎の共通言語を手探りする作業は難しく、鴎は本当に辛かったと思うんですけど、でも私は楽しく、嬉しかったです。ごめんね、嬉しかったです。辛い思いをして考えてくれたこと、感謝してもしきれません。あなたはすごいです。尊敬しています。

 

自分に降りかかった災いに、自分ではない誰かが、自分のことのように傷ついたり悲しんだり怒ったりしてくれたことがあります。自分に降り注いだ嬉しいニュースなんかを、自分ではない誰かが、自分のことのように喜んで飛び回ってくれたことがあります。それは、ゴキブリが出た時に、自分もゴキブリ怖いのに、自分よりずっと怖がって叫び声をあげたりする人がいる時、その人のためにゴキブリを退治してあげられたりする感覚に似ています。似ています?うん、多分、きっと、似ています。

アルプスとリビングをやっていて、そういうこと思い出す機会が良くありました。私ももちろん大切に思っているんだけど、自分ではない誰かが、私より大切にしてくれていると感じる瞬間がありました。救われました。なんたる幸せ、ありがとうございます、お世話になってます、ヤスギです。

 

スタッフの皆様にも、本当にたくさんご迷惑、ご負担、おかけしました。すみませんでした、ニコニコしていてくれて本当に本当にありがとうございました。

スタッフの皆様の紹介を、平野がしてくれました。そういうところだな、と思いました。以前鈴木がブログで言っていた、丁寧な生活の話を思い出しました。背筋の伸びる思いです。私もこれからそういうところで頑張りたい。

 

こんな、みんなにありがとう、ありがとう、あなたのおかげです、みたいなことを言っていて、自分の事、おめでたい世間知らずな小娘だな、とも思うんですが、いややっぱり、まっすぐ、一回、書いておかないといけないな、って思ってしまいました。わはは。

 

 

内側にいないと見えないこと、外から見たら本当に取るに足りないこと、寂しいような嬉しいような感じです。私にとって大切なことが、世界中のほぼ全員にとってどうでもいいこと、逆に他の人の大切なことを、大切なこととして見ることができない私。お互い通り過ぎるばかりで、寂しい気もしますが、だからこそ、誰かと、大切なことが共有できたとき、嬉しいです。今回の公演で、通りすがってくれた方、立ち止まってくれた方、これからも横にいてくれる方、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

さて、多分もう、グラタンみたいなことは、思い出すだけ思い出したので、普通の生活(別に今までも普通の生活でしたが)に戻りたいと思います。いや、春ですね!公演終わって、見たら、いつの間にか桜満開なので、もう、ビビりました。変な声出ました。今日急いで春服を出しました。生活を楽しみたいので、公演のこと、少しずつ忘れていくと思います。でも、タイトルとか忘れてしまうかもしれない。それはないか。

 

以上をもちまして、ヒマラヤとダイニング、終演報告に変えさせていただきます。改めまして、皆々様、本当にありがとうございました。 

 

 

 

八杉美月