『アルプスとリビング』

早稲田大学演劇倶楽部第32期新人企画

ヒマラヤとダイニング/八杉

遅くなりましたが、終演のご挨拶をさせていただきます。八杉です。

 

始まったものは終わるというのは本当で、驚くべきことに、終わりました。

終演から三日もたってしまうと、やっぱりどうしてもだんだん記憶が薄れていくもので、私たちのやった公演は、果たして本当に「アルプスとリビング」だったのか、もしかして「ヒマラヤとダイニング」ではなかっただろうか。ブータンの少年がネパールの少女と恋に落ち、二人でヒマラヤの山頂でダイナーを営む物語ではなかっただろうか。定かではありません。曖昧な記憶です。

嘘です。

さすがにまだちゃんと覚えています。「アルプスとリビング」です。「アルプスとリビング」です。

 

はい。

 

それはさておき、本当に、どんなに濃い体験をしたって、あるいはどんなに記憶力がいい賢い人だって、時間とともにどんどん体験の鮮やかさは失われていくものです。

 

こういうところにこういうこと書くのは浅はかで、不快な思いをなさる方もいらっしゃるかもしれないのですが、だからこの文章、せめてなるべく丁寧に書こうと思います。アルプスとリビングの台本を書いている最中に、俳優の大杉漣さんが亡くなられました。私は特別彼のファンというわけではなかったし、特別彼のことをよく知っているわけでもなかったのですが、ふとテレビを見るとそこにいる人で、私の中でさして特別というわけでもない人ゆえ、安心感があり、当たり前の人でした。

彼が亡くなったということは、彼がもう今までのように何気なくテレビの中に現れるようなことがなくなるということで、いや、再放送か何かでテレビの中に現れることはきっとこれからもあるけれど、それは決して「何気なく」ではなく「意味を持って」になってしまうということで。かといって、わからないのです。別に彼は最初から最後までテレビの向こう側にいた人で、テレビに映っていない時は、私にとって存在していないのと同じ。だから今、私の前に現れる「彼がテレビに映らない」という現象は、彼がこの世に存在していた時と、どこにも存在しない時とで、全く変わらない現象なのです。だから彼がいないこと、よくわからないのです。

彼が亡くなったニュースが私にとって実感がなく、それほど重大な影響をもたらさないことが逆にショックで、台本なんて全然書く気にならない瞬間がありました。でも、夕飯の時間になったら私は晩御飯(確かグラタンだった気がする)を食べて、しばらくするとパシュートが金メダルを取ったので喜びました。その日の夜、人にその話をちらっとして、他愛もない世間話をして、元気を取り戻しました。次の日、私は楽しく稽古をしました。そして、このブログを書いている今の今まで、そんなニュースのことは綺麗さっぱり忘れていました。

あのニュースを見たときすでに分かっていました。私にとってこのニュースがどれだけ重大だったとして、少ししたら綺麗に忘れることができて、二度と同じ痛みとして味わうことはないということ。案の定忘れていました。そして今思い出しました。思い出すことができて良かったけれど、あの時感じたままの痛みではないゆえ、せめて、あの夜の晩御飯が、グラタンであったか否かくらいはきちんと覚えておきたかったと後悔します。そう、だから、私にできる大事なことは、出来事に対する感情そのものを覚えておくことより、グラタンを食べたか否かを覚えておくことです。状態の良い化石みたいに。

 

 

うんうん、辛気くさくなってしまったんですが、何が言いたかったかと言いますと、アルプスとリビングでした濃い経験のこと、私は時間と共に少しずつ薄めていってしまうので、その前に一つずつ丁寧に思い出しておかなくてはいけないということです。安心して忘れるために、いつでも思い出せるようになるための準備が必要です。だから今書いてます。

別にその作業は、一人ですればいいのですが、こうして人目につくところでやっているのは、一緒になってアルプスとリビングを作ってくれた人たちや、さりげなく私を支えてくれた人たちに、こっそり、あなたのおかげです、と言いたいからかもしれません。直接伝えるのは照れ臭いので、どうかお察しください。

 

 

演劇っていうのは、こういうところが難しいです。舞台からはみ出したところ、誰がどういう風に助けてくれた、とか、私はどういう風に考えている、とか、ここがうまくいった、うまくいかなかった、みたいな事。「いや、どーでもいいわ!!つべこべ言わず公演で頑張れや!!」って感じですかね。と言いながら、書いちゃってるんですけどね。未熟ゆえだと思うのですが、演劇を目的にしきれないというか、手段にしてしまうような節があります。いいのか悪いのか、まだわかりません。

 

 

それはさておき(さておいて良いものか)、アルプスとリビングをやって思うのは、これが自分のものという感覚が想像より薄い、ということの嬉しさです。

ちょっと勝手に種明しなのですが、劇中の山で起こるシーンのほとんどはエチュードで作りました。私以外のみんなから飛び出す言葉があまりにも可笑しく、滲み出す個性があまりにも愛らしかったので、欲張って詰め込んでしまいました。心を鬼にして、部屋のシーンとのつながりや、コンパクトなわかりやすさを大切にするのが、私の仕事だった、と思う部分もあり、それは大反省なのですが、いや、とにかく愛が止まりませんでした。毎日毎日、ああでもないこうでもないと言いながら、笑ったり笑えなくなったり、本当に負担をかけてしまう作業だったんですが、私は本当に楽しかったです。ごめんなさい、楽しかったです。

部屋でお留守番をしてもらっていた鴎には、これまた、本当に大変な思いをさせてしまいました。これまた当たり前の話なのですが、役というのは紛れもなく自分以外であって、それになるというのは身を切るような思いをすることが必要なんですね。私と鴎の共通言語を手探りする作業は難しく、鴎は本当に辛かったと思うんですけど、でも私は楽しく、嬉しかったです。ごめんね、嬉しかったです。辛い思いをして考えてくれたこと、感謝してもしきれません。あなたはすごいです。尊敬しています。

 

自分に降りかかった災いに、自分ではない誰かが、自分のことのように傷ついたり悲しんだり怒ったりしてくれたことがあります。自分に降り注いだ嬉しいニュースなんかを、自分ではない誰かが、自分のことのように喜んで飛び回ってくれたことがあります。それは、ゴキブリが出た時に、自分もゴキブリ怖いのに、自分よりずっと怖がって叫び声をあげたりする人がいる時、その人のためにゴキブリを退治してあげられたりする感覚に似ています。似ています?うん、多分、きっと、似ています。

アルプスとリビングをやっていて、そういうこと思い出す機会が良くありました。私ももちろん大切に思っているんだけど、自分ではない誰かが、私より大切にしてくれていると感じる瞬間がありました。救われました。なんたる幸せ、ありがとうございます、お世話になってます、ヤスギです。

 

スタッフの皆様にも、本当にたくさんご迷惑、ご負担、おかけしました。すみませんでした、ニコニコしていてくれて本当に本当にありがとうございました。

スタッフの皆様の紹介を、平野がしてくれました。そういうところだな、と思いました。以前鈴木がブログで言っていた、丁寧な生活の話を思い出しました。背筋の伸びる思いです。私もこれからそういうところで頑張りたい。

 

こんな、みんなにありがとう、ありがとう、あなたのおかげです、みたいなことを言っていて、自分の事、おめでたい世間知らずな小娘だな、とも思うんですが、いややっぱり、まっすぐ、一回、書いておかないといけないな、って思ってしまいました。わはは。

 

 

内側にいないと見えないこと、外から見たら本当に取るに足りないこと、寂しいような嬉しいような感じです。私にとって大切なことが、世界中のほぼ全員にとってどうでもいいこと、逆に他の人の大切なことを、大切なこととして見ることができない私。お互い通り過ぎるばかりで、寂しい気もしますが、だからこそ、誰かと、大切なことが共有できたとき、嬉しいです。今回の公演で、通りすがってくれた方、立ち止まってくれた方、これからも横にいてくれる方、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

さて、多分もう、グラタンみたいなことは、思い出すだけ思い出したので、普通の生活(別に今までも普通の生活でしたが)に戻りたいと思います。いや、春ですね!公演終わって、見たら、いつの間にか桜満開なので、もう、ビビりました。変な声出ました。今日急いで春服を出しました。生活を楽しみたいので、公演のこと、少しずつ忘れていくと思います。でも、タイトルとか忘れてしまうかもしれない。それはないか。

 

以上をもちまして、ヒマラヤとダイニング、終演報告に変えさせていただきます。改めまして、皆々様、本当にありがとうございました。 

 

 

 

八杉美月

 

 

 

 

 

 

スタッフさん/平野

公演終了のブログは他の方にお任せして、今回は素敵なスタッフさんのご紹介をしたいと思います。

以前キャストだけを紹介してスタッフさんを紹介しなかったことに後ろめたさがあったので、この場をお借りします。

 

もう終演から2日が経っているのですがご了承ください。また小屋入り中の様子しか私は見ていないので、その時の平野の主観100%でお伝えします。

 

舞台監督:平澤碧さん

舞監補をつけずに全て1人で背負って小屋をまわす大変さは計り知れないですが、時間が押しても暗転チェックや返しを何度繰り返してもイライラした様子が見えなかったです。むしろフランクに接して下さり周りへの心配りをいつも忘れない方です。

客入れ中に幕中で本を読んでいるのが印象的でした。アップ中にアオさんから名前を呼んでもらえると凄く体が動かせるようになります。

 

制作:中島梓織さん(いいへんじ)

いつもお世話になるだけなって何も返せていないんですけど、今回も小屋を守って下さいました。どんと構えて何が来てもOKな状態でいて下さるから心強いです。

制作は通しを見に来なくても支障がないセクションなので来て下さるととても嬉しかったです。いつも言語化出来ない私に構って下さり、アップ中はオペさんの方から危険を顧みず近づいてきて下さり幸せな時間を過ごせました。

 

制作補佐:高橋知さん

春にあったお試し稽古で知り合って新人訓練が終わってから、ともさんの方から話しかけて下さって、最寄駅も近いしスタッフのセクションも同じで勝手に親近感を感じています。

今回の小屋入り中は私から話しかけることも多かったです。お邪魔をしていたこともあったと思うんですけど、いつも優しく接して下さりそこに甘えていました。ともさんといると落ち着くことが出来ます。制作の人に1番大切なことだと勝手に思っていました。

 

美術:舞台美術研究会さん

今回の主宰と役者の中に舞台美術研究会に所属する人がいるからあんまり褒めたくないけど、この団体は本当に大学生で成り立っているのかと毎回思うほどクオリティが高いです。

リビングに置いてあった棚は家で普通に棚として使える代物でした。

補修作業を毎回して下さり、会場までには完璧な状態で仕上げて下さいます。とても迷惑をかけていたと思いますが文句ひとつ言わない姿は格好いいです。

 

照明:和田花梨さん

出演していた小原君と仲良く話していたので、ちょっと羨ましかったです。とても可愛らしい雰囲気を持った方で、それが千秋楽までずっと保たれていることが素敵だなと思っていました。

地蔵の置く位置やタイミングを何度もやり直して下さりありがとうございました。アップ中は和田さんに向けてやっている時も多かったです。もし目が合っていて恐怖を感じさせてしまっていたらごめんなさい。

 

照明補佐:石神静香さん(うぐい農園)

小屋入り中から何度かお話することが出来て、シーン練などで笑って下さるとほっとしていました。

朝行くと大抵既に作業をしていらして挨拶して下さいます。石神さんの挨拶が私は好きです。元気になれます。

優しくて温かい方で灯台を楽々とつけて作業する姿は憧れます。本番以外の時間に照明をいい感じにして楽しませて下さる面白い方です。

 

音響:松浦みるさん(いいへんじ)

今回の公演は音響さんの負担が半端ではなかったのに、その大変さが全然見えないので超人だと思います。アップ中もシーン練中も笑顔で見て下さるから調子に乗ってしまいました。みるさんの隣にいると心が開放的になれます。今回の小屋入り中も少し話しただけで明るい気持ちになれました。やっぱり超人ですね。

みるさんに伝えたいパン屋さんが何軒かあるので、今度お会いしたときにお伝えしたいです。

 

撮影:萩原涼太さん

とても良い写真をたくさん撮って下さり、みんなでわいわい見ました。開演前に元気になっていました。

何度かお会いしているけれどいい面しか持ち合わせていないように感じてしまいます。年齢不詳な好青年って印象です。後輩にこんなこと言われたくないと思うんですけど、初めてお会いした時からずっとその印象は変わらないです。ありがとうございました。

 

『アルプスとリビング』は他にも多くの方に支えられていたのですが、この辺りで失礼します。

 

本公演にちらっとでも関わって下さった皆さま

お疲れ様でした。

 

本公演にちらっとでも関わって下さった皆さま

ちらっとでもご来場、ご観劇下さった皆さま

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

おいで!/伊藤

伊藤鴎です。

 

アルプスとリビング、いよいよ明日、千秋楽です。


本編と関係あるようで、ないようで、実はあると見せかけて、やっぱりないかと思いきや、少しはあるかもしれないお話をします。

 


私の初恋のひと、スナフキン
自由と孤独を愛する、といえば、聞こえはいいものの、言い方を変えれば、友達いなそう、家もなさそう、たぶんお金もなさそう、みたいなひとです。

 


そんなスナフキンムーミンの最初の出会いは釣り。

ふたりは釣った魚を食べたあと、こんな会話をします。

※()はスナフキンの言葉に対するムーミンの返事

 

 

そんなにうまいかい。
(ああ、うまかった。ところできみなんていうの)
スナフキン
(どこからきたの)
あっちさ。
(どこへいくの)
こっちさ。あてはないのさ。気の向くまま、風の吹くまま、ぶらぶらとね。
(へえ、かわってるんだなあ。きみのくにはどこ)
故郷はべつにないさ。しいて言えば地球かな。
(さびしくないの)
時にはね。でもおれにはたびがあるよ。
(たび)
そう、おれは決めたんだ、世界じゅうを歩いてみようとね。いちど決めたら最後までやりぬく、それがおれの人生さ。

 

 

さて、スナフキン。なかなか過激なひとです。もうすぐ春休みが明けて新学期がはじまるわけですが、自己紹介で失敗しないように我々も気をつけたいものです。スナフキン先輩、ムーミンと初対面にも関わらず、使う言葉がいちいち「おおきい」。あっち、だとか、こっち、だとか、地球、とか。

 

何か、思いのたけを言葉にする際、おおきな言葉を使うことにはある種の驕りが一定の純度でつきまとうものと思います。実際、おおきな言葉を用いたおおきな主題についての発言がtwitter上で炎上しているのをよく見かけます。それは自分の知らないはずの世界のことをあたかも見知っているかのような態度をそこに垣間見るからでしょう。

 

しかしながら。

 

結局のところ、どんな手を使ったとて、所詮、おおきな言葉たるおおきな世界そのものを見知ることは断じてできないし、つまるところ、自分の目の前で起きていることが、自分が知覚できることだけが、自分にとっての世界の全てであるということもまた事実であるとも思います。要するに何が言いたいかというと、世の中には自分が知覚できないことの方が沢山あるという事実を軽んじることがいけないのであって、自分の心のなかにおおきな言葉を抱くこと自体はむしろ、自分の知覚する世界の純度が、そのひと自身にとって、溢れそうなほど切実に高まっている証拠、として愛おしく思われるべきなのではないかと私は思います。

 

そして、実はそうすることの方が難しいのかもしれないとも思います。
どこまでが自分にとっての世界なのかを考えることは「ずるい」ことと分かっているからです。どうしたって、自分の都合でしかない、それでも、私にとっての世界は、ここにあります、と言い切ることは勇気のいることです。

 

 

どこからきたか。
あっち。

どこへいくか。
こっち。

 


スナフキンの言葉を借りれば、

 


あっち、とはどこで、こっち、とはどこなのか。そもそも、あっちとこっちは何処からがあっちで何処からがこっちなのか。

 

そんなこともわからないまま、私たちは日々生きています。

 

あっち、を決めているのも、こっち、を決めているのもいるのも結局のところ自分自身です。

いま自分がいるのは何処かというのも、自分が立っている場所が自分の立っている場所だ、ということしかわかりません。

 

自分と自分をとりまく、ちいさくておおきい世界のこと。
あっちもこっちも同じ場所のはずなのに、すごく近くてすごく遠い。

 

自分にとって身近なひとやものであればあるほど、関わりあうなかで、ふとした瞬間、突然沸いてくる淋しさの正体はきっとこれです。

 

そんな淋しさを照れながら優しく抱きしめる日があってもいいんじゃないでしょうか。

 

 

明日、私たちと山に登りましょう。疲れたら登る途中でお家に帰ってもいいです。それでまた、なんとなくおそとに出てみてもいいです。

 


気の向くまま、風の吹くまま、ぶらぶらとね。

 

 


アルプスとリビング、まもなく千秋楽です。最後まで、どうぞ宜しくお願いします。

 

 

ショニチ/箕西

こんばんは、みのにしです


先ほど初ステが終わりました
なんとなくまだ体が火照ってます
電車むっちゃ暑いねんやめてくれ



良い滑り出しだったのではないでしょうか
反省点たくさんありますが良かったところもあります。反省すべきとこは反省して喜ぶべきとこは喜んで、こっからもっと高めていけば良いと思います


お客さんの反応良かったですし。良すぎたくらい。
慢心しないように。自信を持って。
明日からも集中じゃ!疲れなど知らぬ!






ところで、このブログ書く順番不思議じゃないですか?僕はてっきり本番前日からエンクラの4人で回して楽日に主宰が来るのかなと思ってました。
なんか初日は僕が書いてますこんにちは。

別に不思議じゃないのかな?ワチャワチャやってるけど早稲田大学演劇倶楽部第32期新人企画にお邪魔してるって認識は忘れちゃいけないなって思ってました。やっぱ忘れていんじゃね。


いや、書く順番とかどうでもいいですね、小さいことは気にしないBIGな男になりますわ。



と言うか、ここ数日連夜僕にやることがあったんで気遣ってくれたんですね。いい人たちですよほんと



いい人たちいい座組
いいわるいってなんか、嫌ですね。
好きです。この座組、作品、色々、好きです。
すごく。



この企画に参加できたことをほんとに嬉しく思います。呼んでいただいてただただ感謝ですね。
自分の情けなさで一人勝手にイライラしたり思い悩んだりしたこともあったけどほんとに楽しかったです。楽しいです。実に刺激的な日々でした。
泣きます。

終わっちゃうのは寂しいもんで
こうやって積み重ねて生きていくんですね
今更だけど
今生きてるなって思います



この公演で関われたすべての人に感謝の気持ちを送りたいです。



まだ2日あるやん
終わりじゃねえぞまだ!!!
はいさよならみたいな雰囲気やめよう
こっからこっから


いやなんかブログ書くのは最後なんでね…





かっこつけるとかっこ悪いんですよねえ




最後にこれ書くのよくわかんないけど、
アルプスかリビングか。僕は選べません。難しい。そんなん気分次第や。考えてたら見当違いの方向に思考がいって山になりたいって思った。まだ稽古が始まったばっかのころに高尾山と景信山に連れて行ってもらったんです。そのとき思ったんですけど、これ全部話そうとすると上手く言語化出来ないんで割愛します。知りたくなってしまったよくわかんない人だけ直接聞いてください。


上の文なんで書いたんだって感じだけど、この作品なんか色々考えちゃうんですよ。で書いちゃう。
ほんとにダブルミーニングでおもしろい作品だと思うんで色んな人に見に来て欲しいです。
早稲田で会いましょう!


明日もあるんでもう寝ます
よっしゃ!よっしゃ!


おやすみなさい

とびだせ!記憶力!/八杉

八杉です。

 

新人訓練の時期、毛皮のマリーズドレスコーズばっかり聴いていた私は、今、毛皮のマリーズドレスコーズを聴くと、必ず新人訓練のことを思い出す、悲しい体になってしまいました。軽いアレルギー症状です。志摩遼平の顔を見ただけで、お尻を叩かれるような気分になるので、なんか頑張りたい時は、志摩遼平の写真を携帯の待ち受けにします。今もそうです。

 

高校生の頃、あまり音楽を聴かない、というか、音楽を聴くことをあまり必要としない男の子のことを好きになりました。彼が聴く数少ない音楽と、私が好きな音楽で唯一共通していたのが相対性理論で、その恋の最中は相対性理論ばっかり聴いていたので、今でも相対性理論を聴くと必ずその時のことを思い出します。失恋した直後は、もう絶対、相対性理論、聴けなかったんですが、今ではもちろん、全くなんのダメージも無くなりました。相対性理論聴くと、その時のこと思い出すのに、もう痛くもかゆくもなんともありません、もう歌って踊れます。それはそれで悲しい話のような気もしますが、結構どうでもいい話です。

 

そうそう、だから、音楽っていうのは、それを、たくさん聴いていた時期の、記憶を呼び出す、きっかけに、なりやすいですよね、っていうことが、言いたかった、んですよね。その曲を聞かなければ、二度と思い出さなかったであろうこと。たとえば、わさびのチューブを一本丸呑みした時の味(というか痛覚)とか、振られた日にやけくそで読んだ谷川俊太郎の詩集の匂いとかの、絶妙にいや〜な思い出とか。逆に苦しい時に久しぶりに会った友人の元気が出る言葉とかの、絶妙にあったか〜い思い出とかを、音楽はひとおもいに、じわじわと、あるいはバーン、ドーン、ドッカーンと、思い出させてくれます。

失恋して、谷川俊太郎の詩集読むのすごくないですか、しんどい。

 

 

音楽だけじゃないですね、本でも映画でも演劇でもなんでもそうだと思います。

作り手の誰かの経験の追体験なんだけど、自分の過去に感じた感情の追体験とも言えるというか。記憶を呼び出すきっかけなんだと思います。普通に朝起きて、ご飯食べて、学校行ったり仕事行ったり、一辺倒になりがちな毎日の中で、忘れてしまいやすい感情を効率良く思い出せる手段というか。本を年に何百冊も読む人と、全く読まない人とでは、動いた心の総量がまるっきり違うと思います。本とか映画とか演劇とかに触れることは、短い時間の間で、それ相応の実体験をしなくても、それ相応の感情を経験できます。実際に不倫相手の子供を誘拐したり、朝起きたら毒虫になっていたり、朝起きたら入れ替わっていたり、しなくても、自分が過去に感じた感情の記憶を組み合わせて、想像することで、その時の感情を疑似的に経験できます。

芸術(??)に触れることは、動く感情のコスパが、コスパがいいっていう、そういうことです多分。わからないけど。

 

(わからないけどってすぐ言っちゃうの無責任ですよね、わからないけど。)

 

(こうやって客観的に自分を無責任とか言っちゃうのも無責任ですよね。言っちゃうけど。)

 

そうそう、だから、音楽とか本とか映画とか演劇とか、そういうことで思い出す感情があるということは、それまで忘れている感情があるっていうことを、言いたかった、んですよね。

 

 

今もめちゃくちゃそうです。「アルプスとリビング」を、必死になって、作っているうちに、気付いたら忘れてしまっていたこと、めちゃくちゃあります。書き始めた段階では確かに動きまくっていた感情が、言葉になった途端色を失ったり、稽古をしている段階では確かに鮮やかに面白かったことが、繰り返しているうちに何が面白いか分からなくなったり。

 

でも大丈夫だなって思います。そういう、忘れたくないこと、忘れてはいけないことを思い出すきっかけが、ここにはたくさんあります。

まず、役者のみんなが書いてくれている、稽古場ブログがそうです。自分の視点ではわからなかったこと、一緒に稽古しているだけでは伝わらなかったことが、言葉になって見えること。ああ、そうか、この人はこんなことを考えていたのか、という驚きや安心やショックが、重みと温度を持って現れるので、ハッとします。

それから、役者が稽古中とか休憩中とか帰りとかに見せる素の顔を見ると、いろいろ思い出せます。もともと、楽しい、とか、好き、とかそういう理由で始めたことによって、逆に不安になったり、見えなくなったりしているとき、「はいはいはい、大丈夫ですよ」と戻してくれる瞬間がいくつもあります。「危ない危ない、忘れてた」っていう感じの、好きだな、とか、楽しさ、とか、暖かさがあります。好きだな、よかったな、とか、なります。

あとこの間、知らないおばあちゃんと仲良くなってお守りをもらいました。それから、道を歩いていて、赤ちゃんの靴がかたっぽだけ落ちていました。そういうことに出会っても、いろいろ思い出します。そういう小さいことこそ、大事な感じがします。

全部は言わないけど、他にもいろいろいろいろあります。とにかくね、初心は大事です、という話です。定期的にね、リセットしていかないとね、腐っちゃいます。

 

そうそう、だから、初心が大事です。このブログ、ここだけ読んでくれればいいです。

 

 

はいはいはい、こういうね、大ぶりでエモーショナルな言葉を使っているとね、また忘れてしまったりするんですよ。書いているとき忘れていても、冷静さを思い出してから読むと、恥ずかしかったりするんですよ。知ってますよ、私は。すーぐ恥ずかしくなっちゃうんですから。

あ〜やだやだ。

 

すでに恥ずかしいので、蒙古タンメンの話、していいですか?しますよ。行きますよ。

あのー、私、辛いもの苦手なんですけど、ついつい買ったり注文したりしてしまうんですよね。苦手なんだけど好きなんですよ。ないですか?ありますよね、そういうこと。なんか辛いものってね、お得な感じがするんですよね。やっぱり味がしないものよりはね、味がするものの方がいいですよね。あれと一緒です。あのー、なんですか、あのー、0カロリーのコーラより、0カロリーじゃないコーラの方が美味しいよねっていう、そういう話です。そうそう、そういう話がしたかったんですね、私はずっと。

 

そうそう、だから、コーラは0カロリーじゃないほうがいい。やっぱりこのブログ、ここだけ読んでくれればいいです。

 

 

 

忘れていました。「アルプスとリビング」本日初ステです。

 

忘れていたいろんなことを思い出して、新鮮な気持ちで、頑張っていきたいですね。お客様、スタッフの皆様、役者の皆様、などなど、大切な人たちへの感謝も、鮮やかです。「アルプスとリビング」が少しでも、何かの記憶を呼び出すきっかけになってくれたらいいな、なんて思います。

 

それでは、全力の正座にてお待ちしております。

 

 

 

 

 

所詮定期を首から提げている奴の書いた文章なのよ/鈴木

丁寧に生活しなさい、ということを言われて育ちました。
 
 
 
母親にその言葉を言われるたびに、自分のものが散らかっていることを注意されたと思って、渋々自分のものを箱にがさーっと戻していました。
 
 
丁寧に生活しなさい、その言葉の本当の意味、というか母親が本当に言いたいことを理解できたのは、結構最近です。私にとって、なぜ生きるのか、みたいな疑問はとても大きくて、重くて、くよくよしちゃうんですけど、生きる、というのはやっぱり大きすぎるんです。
自分にとって大切なことは生きる、じゃなくて生活する、ことじゃん。生きる、というのは生活の圧倒的な堆積でしかないんじゃん、なんて、今更思うんですよね。
 
 
 
「アルプスとリビング」という演劇を観てどう思うかとか、どういうところが気になるかとか、何が伝わるのか、なんて私にはわからないんですけど、とりあえず、やってやる、ということだけなんですけど、私はこの演劇をやりながら「丁寧に生活しなさい」ということを考えてしまいます。
 
 
 
お腹が空いたなあ、とか。
雨の匂いがするなあ、とか。
お気に入りのミニーちゃんのマグカップでコーヒーを飲む、とか。
頑張ってる自分にゆずレモン茶を自販機で買う、とか。
友達との集合時間を手帳に書いておく、とか。
ユーミンを聴きながら支度をする、とか。
明日何を着るか考える、とか。
提出書類に綺麗に印鑑を押す、とか。
あと5日で定期が切れるなあ、とか。
追いだきしてちゃんとお風呂に入ろう、とか。
今日は10時に寝ちゃおう、とか。
芥川龍之介読もう、とか。
 
 
 
そういう生活における丁寧さがいかに難しくて、大切なことなのか。丁寧に生活を紡ぐことがいかに、尊いことなのか、がこう身にしみて感じられるわけです。
 
 
 
残念なことに、私はとても忘れっぽい性格です。
性格、というかもはや遺伝です。母親も母方の祖母も忘れっぽいです。すぐにものを無くします。
提出書類とか、鍵とか、定期とか、もう気を抜くとなんでも無くします。
 
いや、大事なものなのでね、大事な、大切な、特別な所にしまっておこう、と思うんですけど、その場所がどこだったか忘れてしまうのです。
 
 
あと、ガサツですね。
荷物がとても多いんです、常に。だいたいパンパンになったリュックと、めちゃ大きい手提げを持ち歩いています。ときには反対の手に弁当袋とかも提げてたり。
 
なぜか、雨の日には荷物が増えます。雨に濡れたとき用の着替え、とか、拭くためのタオルとか、持って行こう、どうせならもこもこしたかわいいタオルがいいな、とか思うからです。だから傘でもさそうものなら大変です。片手で傘をさして大きな手提げをいくつも反対の手で持って、パンパンのリュックと手提げがもうビショビショです。中のものまで。目的地についた頃には自分に絶望します。
 
 
 
 
昨日なんか絶望したまま大量の荷物と共にトイレに行ったら持っていたケータイがするっと滑って水没しました。もう絶望の絶望です。
 
 
 
 
丁寧に生活する、とは程遠いですね。
 
 
 
当たり前のことをスマートにやってしまう人なんてたくさんいるんですけど、そういう人のスマートな所を見るたびに、自分と比較して悲しくなってしまいます。だから時々、荷物が多い人とか、意外と片付けられない人とか、鍵を無くしちゃう人とか、会うと勝手に好きになってしまいます。
 
 
 
 
 
…あ〜あ、でも私はもう諦めることにしました。忘れっぽいこととか、ガサツな所とか、直らないから、対策を考えることにしました。それで最近は定期券と学生証を最高にダサいクリアケースに入れて常に首から提げて生活しています。
 
もうケータイもするって落とさないように首から提げておきたいです。
 
 
スマートなかんじ出すの、もう無理です。そうやって自分なりの丁寧さを探さなくちゃいけないなと思うのです。
 
 
 
アルプスの綺麗な稜線も大好きだし、リビングのカーテンから差し込む日差しも好きだし、それ以外の改札とかコンビニとか教室とか鏡とかストーブとか動物園とかも好きです。
そういう生活を丁寧にしたいです。
 
 
 
 
 
なあんてね。めちゃくちゃ真面目に書いてますけど、最近のご飯はコンビニで買ったものばっかりだし、家に帰るのも日付変わるギリギリだし、夜中に甘いもの食べたくなっちゃうし、自分のもの散らかって妹に怒られるし、そういうよくない生活を送っています。
 
 
 
 
はいはい。
全力の体育座りでお待ちしています。
もうもうもう全力です。みんな。スタッフの方々には本当にもうもうもう感謝感激雨あられです。私たちが稽古場でああだこうだ言っていたことがちゃんと形になることに驚いてしまいます。
悲しいとか寂しいとか言ってる場合じゃない、とりあえずの全力でやりますよっ!来てね!
 
まあね。
所詮そんな人間ですよ。
所詮小屋入り3日目ですよ。
所詮3月の終わりの週末のことですよ。
所詮アルプスとリビングですよ。
ね。
 
 
色々諦めて残ったものを丁寧に、皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。

ヒーロー見参/小原


こんばんは、小原春日です。劇団くるめるシアターに入っています。



今猛烈に寂しい気持ちに襲われています。

卒業とか、桜が咲き始めたり、新しい人たちと出会ったり。もうすぐ春なんだなぁというかんじ。

少しずつ歩みを進めている感覚。ゴールを迎えてしまう感覚。大人になっていくっていう感覚?っていうのが僕はまだ全然怖くて。そんなに急がなくてもいいじゃない ゆっくり進めば、と頑張ってはみるけれどでも絶対にいつかは通らなきゃいけないその道が鮮明に今日見えてしまって、、もう本当に怖いし寂しいし。


その、多分いろんなものを手に入れてるんです僕らは、日々。それは多分めちゃくちゃ恵まれてるし、幸せなことなんだろうな

けど欲張りだから、今ここにあるもの何も失いたくない!って思っちゃうこと時々あるんですよ。嘘、よくあるんですよ、いつも思ってるんですよ。

あの出会いが僕を変えた、じゃなくて、あの出会いを永遠に引き伸ばしたいの!!



っていう。ことを考えてます今日は。

この「アルプスとリビング」もあと5日で終わりです。分からないけど、お客さんから見ても、この劇に登場する人達との別れは辛いんじゃないかな?出会ったあの瞬間のことを忘れられずにはいられない、みたいな?ことになればいいな?

 僕らももうすぐ彼らと別れなきゃなりません。くそ、悔しいなぁ。かといって永遠に稽古すんのも嫌だしな。


でもいつか彼らが、僕が辛い時や悲しい時や泣きそうな時に、励ましたり 後押ししたり こけさせたり 前を向かせてくれたりするかもな

もう戻れないところに彼らを置いていきますので、ぜひ観に来てください。きっと愛くるしいはずです。



最後に僕の好きな卓球漫画「ピンポン」の主人公ペコが親友に送った、最高に熱い言葉をどうぞ



心の中で3回唱え、

ヒーロー見参

ヒーロー見参

ヒーロー見参

そしたらおいらがやってくる。

ピンポン星からやってくる!!


はい カッコいい